風が強い、ビュービューと耳元でうるさい。それよりももっとうるさいものがあった。それは自分の心臓の音だった。
 
 風の聖痕 炎の記憶
 
 あの継承の儀から二年がたった。宗家には何度か来たことはあったが一人で宗主の重悟さまに会うのは初めてのことだった。
「穂村康介、参りました。」
「うむ、入れ。」
「失礼します。」
 中からの声に従い障子を開け中に入る。
「失礼します。此度は…」
「そういうのはよい、楽にしなさい。ここには私一人しかいないのだから。」
 そういわれても楽にできるはずがない。彼は僕が尊敬しているただ一人の人間なのだから。
「いえ、お気遣いは不要です。よろしければご用件を。」
「ふむ、実はなお主にそろそろ仕事を任せてみようと思うのだが。どうする?」
重悟様の言葉に少し戸惑いを覚える、しかし多少思い当たる節があった。
「綾乃様がもうすぐ実戦に出るのですか?」
「なぜそう思う。」
「自分はそれなりに実力はあります。分家の子供の中では一番の実力はあると思います。けれどまだ実戦に出るには実力不足だということも理解しています。それでも実戦に出るということはそれなりに理由があるはずです。そこでもっとも確率が高そうなのは、綾乃様の護衛をしながらの戦いの予行練習ではないかということです。」
 彼は少し決まりの悪そうな顔をしてうなずく。
「まあそういうことだ。綾乃もそろそろ実戦がしたいといいはじめてな、あれの実力ならそこらの妖魔にすら勝てると思うのだが、如何せん実戦の経験がまったくない。そこで実戦を経験させるのに護衛をつけて仕事をさせたいと思うのだが護衛をしながら悪霊退治などできるものが少ない。そこで康介に護衛される役をやってもらいたい。」
「わかりました、その代わりひとつだけお願いしてもよろしいでしょうか。」
「ん?なんだ、いってみなさい。」
「大神雅人おじさんを護衛役の一人に指名させてもらってもよろしいでしょうか?」
「確か大神家当主の弟であったな、なぜ彼を?」
「いえ、彼は十分な実力を持っています。それに彼は誰に対しても色眼鏡を使って物を見ません。綾乃様のことを考えるなら彼を護衛につけることは損ではないと思います。」
 重悟様はしばらく考え込んだが、「わかった。下がってよい。後のことは追って連絡する」といった。
 
 某月某日某所
 とあるビルの屋上に僕たちはいた。
「たかが低級の悪霊にしては大げさな布陣ですね。」
「まあそれは仕方ないだろう。なんたって綾乃お嬢様の護衛のためだからな。」
「なに無駄口を叩いている。」
 むっつりとした表情と厳格な声。そこには現代の二人の神炎使いの一人「蒼炎」使い、神凪厳馬がいた。
 ここに集まった面子は僕、大神のおじさん、厳馬さま、風巻兵衛そして風牙衆の人間三人だった。正直ただの悪霊には多すぎる布陣である。
「まあそういわないでもよいであろう、厳馬殿。康介は初陣なんだから無駄口でも叩かんと緊張で使い物にならんかもしれん。」
 大神のおじさんがフォローしているのか、していないのかわからないことをいう。しかし厳馬さまは笑いもせず相変わらずむすっとした顔で僕をにらんだあと。
「別に緊張しろと入っておらん。ただ仕事の間は油断するなといっているだけだ。」
そういうと僕たちに背を向ける。このとき僕はただ不器用なだけではないだろうかと思った。もしかしたら彼は和麻のことが嫌いなのではなく、ただどう扱えばいいかわからずに厳しく当たっていただけではないのだろうかと。
なんとなくそんなことを考えていると厳馬さまの気配が急に厳しくなる。
「三時の方向より悪霊きます。」
 風牙衆の一人が警告を発する。僕と大神のおじさんもそちらを向く。
 そこにいたのは醜悪な存在だった。恨みや辛みなどを持った霊たちが集まり個性がなくなりただ負の感情が詰まっただけの存在。それはもう個性も何もないただの悪意の詰まった醜い風船だった。
「ほう、これはなかなかのものだな。」
 平然と大神のおじさんが言う。
「少し私に任せてもらおう。」
 厳馬さまはそういうと軽く悪霊を炎で薙いだ。
 それだけでその悪霊の大部分が焼き払われた。残ったのは悪霊の核のみだった。
 大神のおじさんは軽く口笛を吹く。なにやら小声で感心しているのが聞こえた。
「風牙、結界を」
 厳馬さまの声に慌てて風牙の人達が結界を張る、それは悪霊を入れないためではなく逃がさないためのもの。
「康介、負けるなよ」
大神のおじさんはそういって僕の背中を軽く叩いた。僕は頷いて悪霊と戦った。悪霊は最初の威圧感はなく、脅威も感じなかった。彼はなぜ悪霊になったのだろう、そんな風に気を抜いて戦ったのがいけなかったのだろう。
僕は終わったと思って気を抜いた一瞬の隙をつかれ悪霊に体をのっとられた。
 
寒気、悪寒、痛み、怒り、嫉妬、そして恨み。負の感情が押し寄せる。そこにあるのは世界中の最低を詰め込んだものだけだった。誰も助けてくれない、誰も信じられない、誰もこの気持ちをわかってくれない。あの夢のことを思い出す、怖くて思い出したくなくて、封印していた記憶。きっと和麻は僕のことを恨んでいるだろう、きっと厳馬さまは僕のことを恨んでいる。なぜなら僕は和麻のことを嬲ったから、仕方なかったああするしか勝つ手段はなかった。それでも事実は消えない僕は親の前で子を嬲ったのだ。厳馬さまは不器用なのではなく、僕のことを恨んでいるからさっき僕から背を向けたのだ。きっと僕はこのまま死ぬのだ、厳馬さまに見られながら。死にたくない、死にたくない、死にたくない…
支離滅裂な言葉が頭の中で反響する。つらいきっとこのまま死ぬと思ったとき。暖かな炎が僕を包んだ。
目を開けると、そこには厳馬さまがいた。
「なぜ…僕を…助けたんですか?」
「今回の私の仕事はお前の護衛だ。ただそれだけだ。」
「僕のことを、恨んでないんですか?」
 彼は僕の質問に意味がわからないといった顔をする。
「二年前のあの時、僕は和麻さんを…」
「あれは試合だ、お前の実力ではあの男に勝つためにはああするしかなかった。ただそれだけだ。私がお前を恨む理由にはならん。」
 彼はそういうと立ち上がり、「もう仕事は終わった。」といって帰っていった。
 僕の初陣は黒星で終わった。
 ただ、今回の初陣で得るものは多かった。僕は厳馬さまのように強くなりたいと思った。
 
 なんというか僕は浄化の「蒼炎」で焼かれた貴重な人間になった。
 大神のおじさんとたまに会うとからかってくる。綾乃のお守りをすることになった仕返しらしいが、本人は満更でもなさそうだった。
 完全に蛇足だが実際に綾乃の初陣のときは同じメンバーと宗主本人がついていったらしい。ちなみに綾乃は紫色の浄化の炎で焼かれた貴重な人間になったらしい。
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