なんともいえない緊張感のする教室。
 誰もがちらりちらりとある一人の人物を見ている。
 その視線の先には一人の少女が居た。少女は自分の席に座り、特に何かをするというわけでもなくただその瞳を閉じている。
 誰も彼女に話しかけない、誰もが彼女を生け贄として差し出し、あとはただひたすら自分に害の及ばないように身を伏せるしかないと考えていた。
 ただ一人、少女の伏せられた瞳の置くには何者にも負けない闘志の輝きが秘められていることを彼女、久遠七瀬以外知ることはなかった。
 
 風の聖痕 炎の記憶
 
 と、格好よくナレーションを入れてみたものの、その敵役があまりにも情けなさ過ぎた。
 力を手に入れた内海浩助は『呪殺』(と彼は言っているが実際の呪殺とはかけ離れていた)という遠くから相手にぶつける力を、まさに至近距離でしかも相手に説明しながら使うという三流以前の問題と近代の利器(電気銃、簡単に言うと鉄砲の形をしたスタンガンで遠くの人に当たるようになっている)の前にあっさり散っていった。
「…意外と上手くいくんだな」
「あら、意外だったの」
 七瀬嬢のつぶやきに答えたのは彼女ら二人から死角になる、それでも一瞬で飛び出せるところにいた、綾乃さんだった。
 ちなみにその後ろに僕と由香里嬢。僕がついてきたのは本当に念のためだが由香里嬢は完全に自身の好奇心からだろう。
 由香里嬢は僕の後ろから出て行って綾乃さんと七瀬嬢のそばに行く、僕はその光景を後ろから見守る、というより内海浩助を見張っておく、本当に念のためだが。
「はぁい、綾乃ちゃん。穂村くん」
 そういって現れたのは警視庁特殊資料整理室の橘霧香さん、そして彼女の部下の倉橋和泉さん(気の強い感じのする女性)と熊谷由貴さん(大柄の男性だがどこか気の抜けているところがある)。
 霧香さんは綾乃さんと話している、由香里嬢は興味深そうに出七瀬嬢は興味は無いみたいで適当に聞いている。まぁ今後の話し合いだろう、正直僕の出る幕ではない。
 ちらりと内海のほうに目を向けると、そこでは倉橋さんに蹴られながら作業をする熊谷さんの姿があった。
「早くしろ、このノロマ。縛るくらい簡単にできるだろ。お前は単純な作業しかできないんだからさっさとしろ」
 罵られながら作業をする熊谷さんを見ていると、公僕も大変だな〜と他人事ながら思ってしまう。
 結局彼は蹴られながらも文句を言わずに終えた。
「遅いぞ熊谷、ほら縛ったらさっさとどけ。術がかけられん」
「うぅ、すいません」
 そっち系の趣味の人だったらお金を払ってでも代わりたいだろうが、熊谷さんにはそのような趣味はなかったようでなみだ目になりながら(単純に痛みで)縛った内海から離れる。
 熊谷さんが離れたのを確認すると、倉橋さんは一枚の符を取り出し小声で呪文を唱える。
 呪文を唱え終えると同時に符は内海の体にぴたりと張り付く。
 彼女は内海を縛った縄と符を結界に仕立て上げ彼の力を封印したのだ。
 その結界の物理的強度は普通の縄と変わらないだろう。しかし霊的な力を介したときの強度は計り知れないだろう。たぶん綾乃さんが全力で焼き尽くすつもりで縄に炎をぶつけないと焼くことは出来ないだろう。当然僕の炎レベルでは歯が立たない。
 彼女の結界術は多分、時間とお金さえかければ宗主の炎だろうと防ぐことができるだろう(もっとも天文学的な資金と数年の年月が必要だろうが)。
 そんな一流の腕を持つ彼女は何故か警視庁特殊資料整理室にいる。多分一族から爪弾きを食らったのだろう。
「どうも、お二人ともご苦労様です」
「やあ、こんにちは。穂村くん」
「久しぶりだな、穂村。まったく貴様も穂村くらい使えていたらよかったものを」
 そういって彼女はまた熊谷さんを攻撃し始める。結構容赦ない一撃だ。
「いろいろ、話したいことはあるが先にこいつを連れて行かないといかん。熊谷さっさとこいつをも仕上げろ。図体がでかいだけの貴様はそのぐらいしか役に立たないんだから早くもっていかんか」
 そういうと彼女は熊谷さんに内海を担がせて連れて行った。
 気がつくとこの場には誰もいなくなっていた。多分綾乃さんたちは事情を説明するために落ち着いた場所に行ったのだろう。
 すでに授業も始まっているようなので、このまま授業に出ても去年勉強したところで理解しているから今日くらいでなくても大丈夫だろう。
 そう思って僕は自販機でジュースを買い屋上に上がることにした。
 
 屋上のドアを開けると、そこには一人の少女がいた、というより七瀬嬢だが。
「どうしたんですか、もう授業は始まっていますよ」
「そういう穂村は授業に出ないのか?」
 彼女は振り向くことなく僕に話しかける。
「僕は去年のうちに出てますから」
 僕の冗談に笑うことなく彼女は遠くを見ている。
 ただ静かに時間が過ぎる、遠くに流れる雲はゆっくりとそれでも確実に流れていく。
「泣いてます?」
「別に泣いてないよ」
「どこか行きましょうか?」
「別に行かなくていいよ」
「コーヒー飲みます?」
「飲む」
 沈黙のなか結局未開封のままのコーヒー。
 振り向くことのない七瀬嬢の後ろに立ちコーヒーを差し出す。
「ありがと」
 そういうと彼女は缶をあけ、豪快に飲み干す。
 彼女がなにを考えているかは誰もわからない。ただ彼女の考えていることは彼女しかわからないし、彼女しか解決できない。
「穂村、私は始めて人を殺していたかもしれない。昨日、由香里が持ってきた武器の説明のときに人間が死ぬ可能性があるといっていた。それなのに私はためらうことなく引き金を引いた。こんな危険なことをするまで無く処理できる公的な組織を教えてもらったのに自分の手で行動した。私は本当に正しいことをしたんだろうか?」
 彼女の独白。
「それを僕が答えていいものではありません。それは自分で考えないといけないと思います。ただあのまま何もせずに内海にいいようにされることだけは違うと思います」
「そっか、それが聞けただけで十分だ。ありがとう穂村」
 そういって彼女は空き缶を僕に渡し屋上を去っていった。
 
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